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HOME > 職人インタビュー > 最高級茶筒司 八木隆裕氏(開化堂)

和魂洋才

明治の初め、文明開化の時代に、英国から輸入された錻力(ブリキ)を使った缶作りを始めた創業当時から、ほぼ変わらない製法だと伺っていますが、製法も一緒に入ってきたのでしょうか。

製法は初代が考えたものです。よぉこれを考えたなぁと思いますね。触ってもらったら分かるかと思うんですが、このお茶筒はまっすぐに見えて、よく見ると内側にカーブしていたり、微妙に膨らみがついていたりするんです。そうすることで蓋と胴の隙間がなくなり、気密性が高くなります。見えない部分にまで手間をかけていて、その工程は130以上に及びます。

それを機械化せずに、手づくりで続けられているわけですね。

祖父の時代は「機械で出来たものが良い、手づくりは古いものだ」という風潮があったり、タッパーウェアがアメリカからいっぱい入ってきた時代で、すごく大変やったみたいです。
そんな中でも機械化をせずに続けてきたのは、京都のお茶屋さんが「おまえのとこは、ええもんだけ作っておけ、ワシとこが買うたるから。」といってうちの缶を使い続けてくれはったことも大きい。それは、手仕事じゃないと出せない良さがあったからやと思うんですね。

130を超える工程の中で、特に難しいのはどういった部分ですか。

合わせ目を決めるところですね。ひとつの茶筒の胴と蓋は同じ板から切り出して作るので、確実に一緒の直径にはなるんですけど、蓋に対して胴側をどのくらいの直径にしておくのかっていうのがすごく難しい。それによって膨らみをどれくらいつけるのかっていうこととかが全て関係してくるので、手の感覚が頼りです。ひとつずつ微調整して上下がぴったり合うようにしていきます。基本的に、対になっているものとしか合わないですね。結婚のお祝いや引き出物に選んでいただくのも、そういう意味合いが喜ばれているのかもしれません。

一人前の職人になるまでにどれくらいの期間が必要でしたか。

全部の工程が一通り出来るようになるまで、最低10年くらいですかね。一応、職人にはなれたかなと思いますけど、「一人前の」ってなると難しいですね。全部の工程をみれるのは自分と親父だけなんですけど、親父でさえ「今でも勉強中や。」って言うてるくらいですから。

簡にして美、用にして美

ものづくりにおいて大切にしていることは何でしょうか。

長いこと続いてきたっていうことは、変えてきた部分と変えなかった部分のバランスが取れてたからやと思てます。各代が時代や使う人に合わせて変化を積み重ねてきた一方、「簡にして美、用にして美」という部分が変わらない限り、開化堂としてのものづくりになると思います。

パスタ缶などの新しいものにも挑戦されていますね。

つまり、「気密性があってシンプルなデザイン」というところを崩さなければ、ある程度のことはしてもいいのかな、と。ただ、こういうものはアイキャッチ的な存在、開化堂を知ってもらうためのツールであって、メインではないんです。あくまでも開化堂のメインは茶筒ですね。

メインを知ってもらうという点では、実演販売やデモンストレーションもそうでしょうか。

もう10年以上前からになりますね。東京のデパートさんでやらしてもうたんが初めかな。
当時はそれこそ”実演”みたいなイメージでやって欲しいっていう感じでしたけど、最近ではこの茶筒のバックグラウンドをきちんと説明するという意味合いが強いです。特に海外では商品が良いだけでなく、どんな風に作られているから良いものなのかを説明しないと買ってもらえないんですよ。

世界のスタンダードへ

海外での反応はいかがですか。

国内だと、京都のものづくりに対するなんとなくプラスのイメージがあるけど、海外にはありません。だから、職人として見せることが大切なんです。その商品の成り立ちを知り、自分のライフスタイルに合うかどうかを判断した上でないと、買ってもらえませんからね。海外にはそういう人がバイヤーさんとして居はって、自分が惚れ込んだ商品やから、きちんとお客さんに紹介してくれる。この流れが出来上がってきたので、海外展開は今5年目くらいですけど、うちの商品が向こうの暮らしに合うものとして少しずつ認めてもらえてきてるのかなと。 ものすごく時間がかかることやけど、そうやってグローバルスタンダードになることがひとつの目標です。

グローバルスタンダードという意味では、開化堂さんの茶筒は日本以外の家具にもしっくり馴染みそうですよね。

海外のデザイナーさんが、「この雰囲気を出したくて色んなデザイナーがデザインを描いてるけれども出せない、だからお前のが選ばれるんだよ。」ということを言ってくれはった。それは100年以上やってきた中で、あかんもんを削ぎ落して、ええもんが残っているというのがあるんかな。そこは一つの強みというか武器としていったらいいのかなと思いますね。

自分の代、だけでなく

使い込むことで味わい深い色になるところも魅力ですね。

まんべんなく撫でてあげることで、いい色に変わっていきます。銅で1年、錻力で40年位かけて色が変わってきます。店には創業当時の錻力製の茶筒を置いていますが、色が変わって味がありますし、それくらいは使ってもらえます。

永く使えるもう一つの理由でもあると思いますが、修理もしていただけるんですよね。

使い込んでいるものには愛着も思い出もあるでしょうし、できるだけ直したいと思ってます。三世代に渡って使われている茶筒が修理で返ってきた時は嬉しかったですね。必要とされているんだなぁと思うと同時に、これくらいの流れで、ものづくりを考えなあかんなと思いました。僕が作ったものが次の次の代に持ち込まれることもあるわけで、改めて、きちんとしないといけないなと思ったし、今、自分がしている仕事にも誇りを感じることができましたね。

開化堂の6代目として、またこれからの伝統産業界を担う若手職人の一人として、どう在りたいとお考えですか。

ものを作っているだけが職人ではない、という時代が来るのではないかと思っています。というのも、間に入ってくれる卸屋さんが「もの」をきちんと伝えてくれることが難しくなってきている時代なので、商品について、自ら世界に発信していけるようにならないといけないんです。尚且つ、今の時代の色んな場所で、いい意味で「普通」になっていくことが大切やと思います。特異なものを作ってたら、5年位はもつかもしれないけれど、20年先、30年先で考えるとマイナスになる場合もあるでしょうし。自分の代のことだけではなくて、これまでのことを先に繋げていける職人で在りたいと思います。

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