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HOME > 職人インタビュー > 京焼・清水焼 山岡善昇氏(山岡善昇窯)

ハングリー精神は人一倍

この道に進まれたきっかけや理由がございましたら、お聞かせください。

中学を卒業してから、何か手に職をつけようと思ってた時に、陶芸を美術の先生に勧められてね、それがはじまり。

一人前の職人になるのに必要な期間はどれくらいだとお考えでしょうか。

10年かな。修行を始めて10年っていうのは、一番脂がのってくる時で親方は手放さないんだけど、私は初めから10年で独立するっていう約束で修行に入りました。その分、寝る間を惜しんで頑張ったよ。
毎日、夜なべ(残業)したなあ。ハングリー精神だけは人一倍あったからね。
そして、本当に10年たった26歳のとき、岩倉で開窯することができました。

岩倉の地をお選びになったいきさつをお聞かせくださいますでしょうか。

静かで、いつも自然が目に入る所が良いなと思ってね。
岩倉は学生の頃に新聞配達をしていた所だったから愛着もあってね、歴史的にも重みがあるので気に入りました。
当時ここらへんは、家が500mおきにポツポツ並んでいるような場所だったな。

想いをそのまんま

茶陶の上絵付けを中心にされていた中、1990年より全工程を一貫製作されるようになったきっかけをお聞かせ願えますでしょうか。

バブルがはじけて受注が減ってね、待ってるより自分から攻める姿勢が必要やと思ったんです。自分で素地から作れば、すぐに制作出来ると思ったのがきっかけかな。

全工程に携わるようになったことで、新しく見えたことなどありましたら、お聞かせください。

いっぱいありますね。限られた工程だけの仕事ってのは、どうしても自分を殺してやらなあかん部分があるけど、自分とこの想いをそのまんま伝えられるようになったし、より作品に責任を持てるようになりましたね。

厳しい時代の中ですが、続けてこられている秘訣は何かおありでしょうか。

自分はほんまに恵まれてる思う。問屋さんに育ててもろてるわけです。絶えず、応えていくだけでなくうちからも企画を提案するなどもして、色んな形で提供していく姿勢を忘れへんことかな。

京都の”産業”が垣間見える感じですね。問屋さんとの切磋琢磨する姿勢がいいモノを創っていくんですね。

うちらから発信し、流通機構を変えていかなうちらみたいな製造元は残らない。
いいモノを残していこ、創っていこ思たら、京都の焼き物は、みんなまとまってやらないかんと思うね。ひとりひとりの声やと小さいから、みんな一丸とならないかん。 時代はどんどん変化していくのに、伝統産業に対する法律自体も、ここ4、50年変わってへんというとこの見直しも必要やと思いますね。

問題意識を常に持ってそれに対応して動いていくことが、続けていく秘訣なのかもしれませんね。

安心・安全 まいにちのお茶碗

これからの夢や、挑戦したいことがあればお聞かせ頂けますでしょうか。

茶陶をずっとやってきたけど、食器もやっていきたいね。
安心で安全な食器を作りたくて、釉薬で絵を描いてるんや。上絵付けは無鉛絵具。本来、陶器の上絵付け絵具には鉛が入ってることが多くてね、 アメリカ、中国を中心に鉛の健康被害が叫ばれ始め、その問題に対処するべく、京都府・京都市と一緒に無鉛絵具の開発に関りました。検査にもクリアできます。ただ、扱いは普通の絵具よりも難しいですね。

確かな技術で作られているだけでなく、健康にも配慮された絵具。
本当に安心して使えますね。
そして、どこか柔らかい、あったかい雰囲気が感じられますね。これは善昇窯の特徴でしょうか。

今まではね、小紋、金襴手を得意とし、どちらかというと綺羅びやかな雰囲気のものが多かったかな。これからはこの雰囲気のものも作っていきたいと思ってます。釉薬で絵を描くと安全なだけでなく、柔らかい雰囲気の色合いが出せます。

お気に入りをひとつ

今回、出品して頂くお茶碗や湯のみは、どのようなイメージでお作りになられたのでしょうか。

今までの様に、枝から桜が見えるのではなくて、心の中に桜の花びらがいつまでも見える桜にしてみました。
食器には四季の花々を描いています。毎月花を変えてご飯が食べられたらなと。毎日の食事に最高の贅沢をお楽しみ頂けたら嬉しいですね。
家族の人数分揃えようと思うと手が出ないと思われる方もいるかもしれないが、一つ自分のお気に入りの食器を持って、ほんとにいいもの知るきっかけにしてもらいたいです。

長い制作工程の中で、最も時間のかかる工程や最も気を遣う工程は何でしょうか。

発想の時間がいちばん時間かかるんやね、着手したらそっからは早いよ。そこは、もう、長年やってきているからね。デザインが器物にちゃんと合うようにしないかん。カタチと絵がマッチせないかん。どっちかだけやとあかんねや。同じもの作るわけじゃないからね、ひとつひとつ真剣勝負やね、筆をもつときは、本当に気をつかって進めていきます。

若人へ

毎年1人ずつ訓練校より若い方を受け入れられていらっしゃると、お聞きしています。日々、教えられていて感じることや、若いひとへ向けてのメッセージを頂けますでしょうか。

元気な間に伝統の技を若い世代に伝えたいなと思ってます。
その人たちが、将来プロの伝統工芸士としてちゃんと独立できるくらいまでね。
そやね。言いたいことは、今の若い人は少々おとなしすぎるな。
言うたことしかできないのではダメ。 あと、遊ぶときは大いに遊ばなあかんいうことくらいかな。

陶芸人生

ものづくりに携わってきて嬉しかったことはどのようなことでしょうか。

ただ黙々と仕事を続けてきたけど、50歳を過ぎてから公募展に出品しましてね、次々と入賞等の評価をいただきました。私の作品で多くの人が楽しんで使ってくれてるんだな、喜ばれているんだなと感じられるのが私にとって嬉しく幸せなこと。
先日、私の作品を見て「デザインが斬新なので、若い作家さんですか?」と聞かれた、と耳にしてね。とても嬉しく思いましたね。

最後に、山岡さんにとって 陶芸とは 一言で表すと ずばり何でしょうか。

”遊びごころ”やね。
そんな風に思えるようになったのも、50歳を過ぎてから。ほんまにこの仕事やってきてよかったって思えるようになった。ハートを込めて、好奇心を持ち、美しいものに対してトキメキを感じられる柔らかな頭でいることをこころがけたい。これからも色んなことに挑戦していきながら、どこか遊び心のある作品創りをしていきたいですね。

プロフィール

山岡 善昇

“これからも美しいものにトキメキたい”
16歳で陶芸の世界に入り、茶陶の上絵付けに携わって、早いもので54年目を迎えようとしています。
1990年頃から全工程を一貫製作するようになり、茶陶以外にも製作活動を広げ、なかでも京都府の技術センター、京都市産業技術研究所と一緒になって開発し、さらに研究を重ねた‘京無鉛絵具’を使うことによって、食器などへの‘京焼・清水焼’の特徴を生かした展開もしています。
京焼・清水焼伝統工芸士会、又その他の組合の役員として人材育成にも力を注いでいます。
「これからも美しいものにトキメイて、出来るものはすべてやってみたい」

昭和17年
三重県に生まれる
昭和34年
京都府立陶工職業訓練所卒業 初代善峰師に師事
昭和44年
善昇銘を受け独立

受賞歴
淡交ビエンナーレ茶道美術公募展、京都府デザインコンクール、京都陶磁器連合会展、京都色絵陶芸展、京焼・清水焼展
伝統工芸士全国大会において京都府知事賞・京都市市長賞・その他受賞多数
平成18年度
伝統的工芸品産業功労者近畿経済産業局長表彰を受ける
平成21年
日本伝統工芸士全国大会に於いて功労者表彰を受ける
平成22年度
京都市伝統産業技術功労者表彰を受ける
平成23年
NHK『美の壺・京焼』に出演

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