職人インタビュー

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手仕事のぬくもりを

京こまの歴史について教えてください。

その昔、公家の女性が着物の布を竹の芯に巻いて作ったお座敷独楽(おざしきこま)が始まりといわれています。昭和初期頃から観光土産として現在の木綿の平紐(ひらひも)で作られるようになりました。意外に思われるかもしれませんが、紐は京こま専用に作られたものではなく、おまんじゅうの箱を結ぶ為の紐など、その時代、その時代に流通していた紐を使用しています。

紐も歴史と共に変化してきているのですね。

紐のサイクルはとても速く、真田紐(さなだひも)、木綿紐、ナイロン紐と変化してきています。ただ、ナイロン製は巻き方や接着の点から考えても京こまを作ることには向いていませんので、現在は、木綿の平紐を使用しています。染屋さんに手作業で染色してもらいますので繊細な色にも対応できるんですよ。

京こまに初めて興味を持ったきっかけは何でしょう。

父が京こま職人でしたので小学生の頃から楽しんで手伝っていました。中学生の頃には作ったこまをお店に並べてもらったりと、とにかく作ることが好きだったんです!

京こまの制作工程で特徴はありますか。

ろくろや刃物を使わずに「巻く」という作業が特徴です。巻くことは手仕事の原点でもあるんです。縄文土器を始め、東北に現在も残っているブナコ細工なども、ろくろや刃物を使わずに仕上げるという点ではとても似ていますよね。

素材が時代と共に変化しても、作り方はずっと変わらないんですね。

その通りです。昔も今も変わらぬ手仕事のぬくもりを「京こま」に感じて頂けたらうれしいです。

初めて購入される方におすすめの商品を教えてください。

今、このオンラインショップに置いています「京こま 三種(箱入り)」 が一番オーソドックスなものです。その他には、色合いのバリエーションが色々ありますし、芯棒のカット方法によっては対戦用の回り方をするものなどもありますので是非お好みのものを見つけて下さい。

ひとつひとつ

工程の中で、最も難しいところをお聞きかせ下さい。

巻き始めの部分、そしてバランスを取りながら巻くことです。少しの狂いでもあると、こまが暴れるんです。芯自体も決してまっすぐではないことを考慮し、巻くときの力の入れ具合等にも気を配りつつ巻いていきます。巻き始めと終わりのみ糊付けをしていますので、らせん状に形を伸び縮みさせて角度や形を整え、定まったら全体をコーティングして固め、芯の部分の長さもカットして最終的な調整となり、できあがったものはひとつひとつ回してチェックしています。

手の感覚で仕上げていくのですね。

そうなんです。職人によって巻き方の向きや最後の紐の処理の仕方などに特徴があり、サインがなくても何代目のものかわかるんですよ。こまの博物館などで古い物の中にうちのものを発見することもあったりします。

一人前の職人になるのにはどれくらいの年月が必要でしょうか。

どこで一人前と呼べるのかわからないのですが10年位でしょうか。そのときは上出来と思っていた初期のものなども今見てみるとダメな部分があったりしますしね。

まだまだやってみたいことがたくさんあるんです

「雀休」という屋号(やごう)の由来を教えてください。

工房の庭に雀が遊びにきては庭石のくぼみにたまった雨水を飲んでいたそうです。いつしかひと休みしにやってくる雀たちのために毎朝水を注ぐようになり、まるで雀の茶の湯の庵(いおり)のようであることから「紫竹雀休庵(しちくじゃっきゅうあん)」と名付けられました。紫竹は当時工房のあった京都市北区の地名で、工房の移転後「雀休庵」に、私の代では「雀休」を屋号としています。父は「雀休さん」と呼ばれていたので馴染みのある大切な屋号です。

一時途絶えていた京こまの制作を復活なさいましたが。

20才くらいの頃から何度かチャレンジしてみたことはありましたが、1日に作れるこまの数には限界があることから生業とすることは難しいのでは、と思い留まっていました。そんな気持ちが浮かんでは消え、浮かんでは消え…。

35才の頃、このまま会社に勤め続けていくのかどうかと再び考え始めるようになりました。昭和初期頃は10軒程あった京こま店も30年ほど前には既に途絶えていましたので、そのことからも京こまを生業とすることの難しさは分かっていましたし周りにも止められるばかりでしたが、最終的には単純に「こま作りが好き!」という想いが自分を動かしたんです。

続けてこられている秘訣は何でしょうか。

何か大きなことを狙っていたわけではなく、作ってみたいこまや、こまでやってみたい事があり、ただただ、作り続けてきて今日に至っています。その気持がある限りは続けられますし、やると決めています。こんな風に作ったらお客様からどんな反応をいただくかなと考えている企画がまだまだいっぱいあります。どんな商売も、「何をすればよいのかわからない」と思ったらそこまでだと思っています。

小さいながらも大きなエネルギー源

京野菜こま」などユニークなものが生まれるきっかけは。

こまが、お正月のおもちゃとしてのイメージが定着したのは明治以降です。お正月だけでなく、1年を通してお楽しみいただけるようにと季節に応じたものを作り始めましたところ、お客様からも様々なご提案をいただくようになりました。祇園祭やオリンピックにちなんだものなどの注文もあったんですよ。

子供のおもちゃを超えて楽しいものがたくさん生まれそうですね。

小さなこまを仕事の合間に回してリラックスされている方もいらっしゃるんです。ちょっとした気分転換に回してみてください。じーっと見ていると吸い込まれるような気分になります。他にはリハビリ等にもお使い頂いていて、ご年配の方が昔遊んだことを思い出して会話を弾ませたり鮮やかな色に心も爽やかになっていただいているようです。
「物事がうまく回りますように」との願いをこめた縁起物としてはもちろん、時代と共に様々な使われ方が生まれているんです。

海外での反応はいかがでしょうか。

海外にもこまの形をしたおもちゃはあるので、みなさん、楽しく回して下さいます。「巻く」という京こま独特の技法に興味を持たれる他、日本らしい紅白や金箔の入ったものが人気です。

仕事をしていてうれしい時はどんな時でしょう。

自分でつくったこまは我が子のように愛おしいもので、自画自賛しているんですが、なかなかお客様に言葉でお伝えすることは気恥ずかしいものなんです。うまく言えないのですが、「京こま」を買って下さる方がいらっしゃることは本当に尊く嬉しい瞬間です。

最後に、中村様にとって「京こま」とは。

京こまは直接人々の生活に役立ったりするものではありませんが、見て、回して、誰かが元気になったり「よし頑張ろう!」と思ってもらえるようなものであればと願っています。毎日の生活の中に少し取り入れてもらうことで小さいながらも大きなエネルギー源になる、そんな「京こま」をこれからも作り続けていきたいです。

プロフィール

中村 佳之

昭和43年
京都市生まれ。小学生の頃、父より京こま作りを習う。中学時代には売り物として家業を手伝う。だが間も無く、京こまの需要が無くなり家業はほぼ廃業となる。洛陽工業高校機械科卒業、池坊文化学院終了、一般企業に就職。
平成14年
一念発起で京こまの復活をかけ生産販売の活動を再始動させる。
平成17年
京都国際会館の宝松庵茶会での実演出展。京都府文化資料館「こま」製作。京都市伝統産業として審認をうける。
平成18年
京こまのリハビリテーションへの活用、京こまの装飾品など新分野を生み出す。全国の職人展、京都展など広く出展。
平成20年
ハギレを使った独楽作り、電気を使わない遊びなどの視点からエコ教育活動を実施。花街文化復元に向け先斗町、宮川町へ京こま提供。
平成23年
ドイツ、フランクフルト工芸美術館での京都の伝統文化を伝える。「WAZA」展にて展示・製作実演を行う。

現在
多くの方々に希望と勇気が湧いてきて、みんな元気になって頂けるような京こまを作ることを目標とし、伝統の製造技術を守り遊びの文化を継承していくよう実演及び展示会、講演、体験講座など積極的に活動しております。

メディア出演:
NHKテレビ「美の壺」「トラッド・ジャパン」MBSテレビ「美の京都遺産」他、民放各社テレビ、ラジオなど。

団体:
京都商工会議所 会員、京都市伝統工芸連絡懇話会 幹事

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