職人インタビュー
HOME > 職人インタビュー > 京和傘 西堀耕太郎氏(日吉屋)
一度きりの人生だから
京和傘との出会い、この道に進まれたきっかけは何でしょうか。
妻の実家が和傘屋だったのがきっかけです。結婚する前、京都に遊びに行ったときに番傘に出会ったのが最初ですね。
もともとは、公務員だったとお聞きしていますが、職人の道へ入るのに、迷いや不安はありませんでしたか。
振り返ってみると不安もありましたが、その当時は伝統的なものにかかわれるのがうれしかったですね。早い時期にホームページを立ち上げたのですが反響がよかったので、ニッチな分野ではあるけれども日本に限らず広く世界中の人に見てもらえればやっていけるのでは、と決断しました。人生は一度きりなので好きなことをやったらいいのではないかと。
和傘製作の上で一番難しいことは何でしょうか。
胴張りという作業ですね。
竹の骨に糊をつけて和紙を貼るんですが、通常の大きさの傘だと4枚の紙を貼りますので、その境目を目立たないようにしないといけないんです。
さらに、竹っていうのはどうしても節でゆがみがあるので、まっすぐな紙をゆがんだ骨に貼らなければいけない、ちょっとでもずれてしまうと糊のあとが付いてしまうので一発勝負です。
ある程度慣れないと、ぴたっと合わせることができないんですね。
ものづくりにおいて大切にしていることは何でしょうか。
やっぱり、原点に戻って自分が最初に作った傘を買ってもらえたときのうれしさを思い出したり、買ってくれた方が使うシーンを想像したりして、1本1本大切に作らなければいけないなぁと。
それから、自分たちが作っているものは作品ではありませんので、お客様それぞれのご要望にあったものを限られた条件の中で最大限のクオリティを発揮して製作するということです。それがプロだと思います。
伝統にあかりを灯せ
京和傘の魅力、楽しみ方についてお聞かせください。
京都ならではのシンプルで上品な美しさと侘びた雰囲気、古くから伝わる色合いやデザインを備えているところですね。
和紙でも手漉きと機械漉きでは耐久性に差があるし、透かした時の美しさも違うんですよ。
日常生活で使う機会は減ったけれども、傘として実用性があることを実感していただきたいです。
確かに日常生活で使わなくなってしまいました。
ホームページを始めて売上も増えたのですが、和傘人口を増やすのはやっぱり難しかったんですね。京和傘が伝統産業と呼ばれるようになって、日用生活品からかけ離れてしまった。どうやったら和傘を日常生活で使えるか、和傘のよさ、美しさを表現する方法はないものかと考えるようになりました。
そこから、照明器具「KOTORI」が生まれたのですね。
近所のお寺の境内で和傘の製作工程のひとつである傘干しをしていたときに、和傘を太陽にかざして見ていたら、もれてきた光がやさしくきれいだったので、照明器具として使えないかと思い立ちました。
自分の部屋やリビングなど身のまわりの空間に使えるようなもの、ただかっこいいな、おしゃれだな、おもしろいなといった理由で使えるものにしたい。
自分たちだけでは限界を感じたので、照明デザイナーさんなど外部の方、違う分野の方と一緒に作ったのがKOTORIです。
筒型にするのはデザイナーさんからの提案ですけれど、コンパクトに畳むというのは我々からの提案なんです。好きな色や柄のシェードに付け替えたりもできるし、流通の面から考えてもコンパクトになるのはメリットが大きかった。和傘屋だけでも、デザイナーだけでも思いつかなかったので、お互いのいいところが合わさってできたと思います。
海外でも販売していらっしゃいますね。
日本ではグッドデザイン賞もいただいてるし、おしゃれな和風照明という感じで使ってもらうことが多いですね。
現在、15か国で販売していますが、海外では日本より大型のものを求められますね。あとは、明るさや柄も日本とは違ったものが好まれます。
また、海外の市場でKOTORIはジャパネスクすぎるという意見があり、開閉できる傘のよさはそのままに、素材を変えて意匠をもっとモダンにした新商品を作りました。素材はステンレス、プラスチック、スチールなど、要するに洋傘のもの。でも、中心から放射状に骨が伸びる構造は和傘のものです。
今日の新しさもやがて「伝統」になる
いろんなデザイナーさんやアーティストの方とコラボレーションされていますね。
照明器具や新しいバイオ素材を使った傘など、こちらから「こういうものを作りたい」ということで人をさがす場合もありますし、一方で、傘で作った家とか昨年は和傘ドレスなどですね、和傘の技術を使ってこんなものできませんかって先方からご依頼いただいて参加する場合もあります。双方向ですね。
そうやって新商品を開発していくことが「伝統とは革新の連続」という理念につながっているんですね。
そうですね。時代にあった変化をしないと、いくらいいものでも使えない。普通の人が、カッコイイね、かわいいね、おしゃれだねって言って、お金を出して買おうと思うようなものじゃないとやっぱりだめなんです。
そのひとつの形が照明器具であるわけですが、今は新しいことをやってるように見えますけれど、これをずっと続けていって、10年とか50年後に、照明器具とは開閉できるしコンパクトに畳めて持ち運べるということが定着していたら、それが新しい伝統に繋がっていくのではないかと。
ひょっとしたら、100年後の和傘というのは照明器具のことを指すかもしれない。
そうやって、誰が発明したかも分からないくらい普及して、新しい伝統は作られていく。それを繰り返すことによって伝統とは紡がれていくものだという考えなんです。
番傘を作った人のように、名前も残っていないけど、普通の人が100年後も200年後もそれを使っているようなのがいいなと僕は思います。
ホテルや駅、京都の人気店などにも日吉屋の照明が使われていますよね。
きっと毎日、たくさんの人がうちの作った照明の下を通るんでしょう。でも、きっとそういう人たちはどこの誰が作った照明なんてことは意識してないですよね。それでいいんですよ。
風景の中に溶け込んで、食事したお店の天井に吊ってあったとか、たまたま記念写真を撮ったら写ってたとか、そういう「京都って雅やかでいいよね、おしゃれだよね」っていう中の一部になってたらいい。
最後に、西堀さんにとって、「和傘」とは何でしょうか。
生活に密接に結びついたもの、生活の糧、自分たちを意思を具現化して表現するもの、存在した証。…人生とも言えるし、かけがえのないものですね。
プロフィール
西堀 耕太郎
唯一の京和傘製造元「日吉屋」五代目当主。和歌山県新宮市出身。カナダ留学後市役所で通訳をするも、結婚後妻の実家「日吉屋」で京和傘の魅力に目覚め、脱・公務員。職人の道へ。
平成16年、五代目就任。
「伝統は革新の連続である」を企業理念に掲げ、伝統的和傘の継承のみならず、和傘の技術、構造を活かした新商品を積極的に開拓中。グローバル・老舗ベンチャー企業を目指す。
国内外のデザイナー、アーティスト、建築家達とのコラボレーション商品の開発にも取り組んでおり、 平成20年より海外展示会に積極的に参加、Maison&Objet(Paris)、Ambiente、Tendence、Light+Building(Frunkfurt)、ICFF(N.Y.)等に出典。
和風照明「古都里-KOTORI-」シリーズを中心に海外輸出を始める。